母が若かりし頃ロシア語を習ったことをあるというのは聞いたことがあって、新潟に住んでいたことだし、なんとなく身近だから習ってみたのだろうくらいに思っていたのだけど、実はかなり本格的に習っていて、当時はソ連(そう、まだソ連の時代だ)から来た人たちと交流を持つくらい喋れていたと、今日不意に聞かされた。日本のつるつるしたいい紙でできたカレンダーをあげては(写真もきれいなので大変喜ばれたらしい、あとストッキング)、ボルシチをご馳走になってたんだってさ。意外に国際派。シベリア鉄道に乗るのが憧れだったらしい。もちろん今はさっぱり喋れないらしいけど。それにしてもそのロシア語教室、市が主催するもので、テキスト代以外はただだったらしい。いくら行政によるものとはいえ、ただってすごい。何者かを育成する目的だったのかしら。